バーチャルフォトは、写真でなくていい

バーチャルフォトというのは写真の文化から生まれてきたもので、構図とか光の扱いとか、使う言葉もほとんど写真からもらっている。それ自体は自然なことだと思う。

ただ、だからといってバーチャルフォトは写真と同じでないといけないかというと、そうでもないんじゃないかという気持ちがわたしのなかにはずっとある。

バーチャルは、光の方向も強さも色も設定できるし、物理法則にだって必ずしも従わせなくていい。なにせせカメラが浮くし、物にめり込むのだ。

わたしの例で言えば、万華鏡の中に全天球カメラを突っ込んで得られた像を出すが、現実の写真なら「おかしい」とされるような絵も最初から完成した状態で存在できる。

写真が与えられたものの中で撮るとしたら、バーチャルは選んで作る。手元のペンが浮かないように、同じではないことをみんなわかっているはずなのに

バーチャルの服のことを考えるとわかりやすくて、買ったあとにマテリアルをいじって質感を変えたり、テクスチャを差し替えてデザインごと変えたりできる。

現実では構造的にあり得ないものが普通に着られたりもする。ファッションという文化は現実から来ているのに、バーチャルではその制約がそのまま引き継がれるわけじゃない。

けれども多くのVRChatterはバーチャルの服を「服」と呼ぶ。多少の揺らぎはあるが、おおむね「服」という言葉と同じ意味の言い方をする。

同じことがバーチャルフォトにも言えると思っていて、写真から来てはいるけれども、写真の制約に揃える必要はない。

VRで誰かと一緒に撮るとき、撮影者も被写体もそこにいて、その場にいたという事実は確かにある。現実のそれと地続きで、そこはちゃんと写真的な部分だと思う。

ただそこから生まれる一枚は、物理法則に抵抗されながら作るものじゃなくて、重みがあるように見せたり、風になびいてるように見せたり、制約を自分で選んで作るものになる。

それを写真の基準で測ることにあまり意味はないんじゃないかと最近思っていて、写真より優れるとか劣るであったり、写真の代替だとかじゃなくて、単純に別の媒体だという話だと思っている。

バーチャルフォトは、写真でなくていい。けれども呼び名に写真であっていい。